【連載】人気ポーカー実況アナウンサーてらこ「世界のカジノはこんなところ」③

2018/10/18

この記事では、Resortline特別企画として、ポーカー実況アナウンサーである寺崎美保子(てらこ)さんの連載をお送りします。今回は、てらこさんがカジノにハマったキッカケのお話。ポーカー界の超人気実況アナウンサー、てらこさんの連載記事をぜひお楽しみください!

幼少期からゲームが好きだった

ゲーム好きな両親の影響で、ゲームは身近な遊び道具だった

画像:家族とイギリスに行ったときの写真

カジノへ頻繁に行くようになったのは30歳を過ぎたころからですが、ゲームは物心ついたころから大好きでした。

父は大学教授、母はピアノの先生…いわゆる教育一家でしたが、両親もゲームは大好きだったので、自宅にはゲームウォッチやファミコン、ボードゲームなどがそろっていました。

父は時間さえあれば駅前のパチンコホールへと足を運び勝負に挑んでいました。まだ、今ほど規制が厳しくなかったホール内へと幼いながら入り、父の隣でハンドルを握ってパチンコを遊んでいたことを今でも覚えています(店員さんは「大人になってからね」と、ニコッと指摘していましたけれどね)。

父が勝ったときには景品をゲームに交換できるので、それだけでもワクワクしていました。

小学校高学年になると、父から麻雀を教わります。

学生時代はパチンコ、競馬が好きだった

大学生になると、自分自身がパチンコホールへ通うようになります。大学1年生の頃にCR機が流行っており、確変に入ると「今日の講義はサボろう!」そうこうしているうちに留年してしまいます。

第1回目の連載にも書きましたが、私は学生時代、ゲームセンターで働いていました。バイト先の先輩がニコニコしながら「ノースフライトとトーワダーリンで万馬券を当てたんだよ」と、200円が数万円になったことを話してくれたので「これはパチンコよりも競馬のほうが小額投資で儲かるのでは!?」そう思って、競馬場へ通うようになりました。

最初の結婚のきっかけも「競馬」

社会人になってから競馬を通じて知り合った男性と最初の結婚をし、息子に競走馬が由来の名前をつけました。この息子もポーカーをするようになるのですが、そのエピソードは別の機会に書こうと思います。

画像:中学生の息子、大河と。

競走馬「カネツフルーヴ」の「フルーヴ」はフランス語で「大河」。クラブ馬主で私が共同出資していた代表的な愛馬。帝王賞や川崎記念などの重賞タイトルホルダーだった。

テキサスホールデムの出会いで人生が変わった!?

社会人になっても競馬やゲームはやり続けた

仕事と子育てを両立しながら生活していましたが、週末は競馬やボードゲームの大会などへ参加していました。スクラブル、バックギャモン、ラミィキューヴ…etc.ボードゲームのなかでも世界大会があるものは積極的にチャレンジすることが多かったです。

そんな、ある日のこと。

友人の一言でポーカーの世界を知る

朝までボードゲーム会に参加した足で帰りの電車が一緒になったゲーム仲間から「ポーカーにも世界大会があるんだよ」と、聞きました。

私の知っているポーカーは配られる5枚のカードをチェンジして役を作っていくルール。そのゲームで世界大会が開催されているのかなぁと疑問に思いましたが、よくよく仲間の説明を聞くと、それとはと全く違うものでした。

テキサスホールデム(ポーカー)との出会い

テキサスホールデムとは

各プレイヤーの手元に配られる2枚のカードと、場に出るコミュニティカード5枚、計7枚のうち5枚で作る役(2ペア、ストレート、フラッシュなど)が上の人が勝ちというもの。

プレイヤーにはチップが与えられ、まずはカードが配られた段階でゲームに参加するか降りるかを選択する必要があります。参加するなら「コール」、チップの額を吊り上げるのならば「レイズ」、ゲームから降りるなら「フォールド」というように、それぞれのアクションには呼び方があるのです。

コミュニティカードも3回にわけて開かれます。まずは3枚一気に開かれる「フロップ」、4枚目が「ターン」、5枚目が「リバー」。最後までチップのやり取りが続けば「ショーダウン」といって、先にチップを賭けた人から手元にある2枚のカードをオープンします。

手元にあるチップには限りありますが、少ないからといって勝負できないわけではありません。全賭けを意味する「オールイン」といって、他のプレイヤーがゲームを怯ませるような賭け方も可能。

少しでも遊べばルールは理解できると思いますが、一生かけても極められないと思えるほど奥深いゲーム…それが、テキサスホールデムです。

世界大会があるゲームなら当然、プレイしてみたくなるもの。そこで、仲間から誘われたこともありDUKEという店へ行きました。

初めてのトーナメントはあっけなく敗退

DUKEは馬喰町にあった店で、ダーツとビリヤードが遊べるところでした。そこではポーカーを月曜日と金曜日の週2回だけ遊べたと記憶しています。

月曜日は初心者向けでしたが、金曜日はトーナメントが2回行われていました。1回目はチップのベッド額が決められているリミットホールデム。2回目はTTOS(テキサスホールデム2回、オマハ、セブンスタッド)といって、ブラインドが上がるごとにゲームが変わるものでした。

口頭ではルールを聞いたものの、実際に遊んでみると混乱が多かったです。初めてのトーナメントは見せ場なく、あっという間に終了してしまいました。

仲間がポーカーをしている間、私はドリンクを飲みながら端のほうに座っていました。すると、店のオーナーから「ポーカーはね、目の前にチップがあるときだけ参加していれば良いんだよ。ハンドのなかにAがあるからって無理しちゃダメ!ボタンが過ぎたらトイレに行くなど席を外して良いのだから、ハンド見る必要もないの」という話を聞きました。

DUKEオーナーとの出会いがカジノ人生の幕開けだった

当時のテキサスホールデムにはアンティが発生しなかったので、ビッグブラインド、スモールブラインド以外はフォールドしていればノーリスクでした。彼の言う通りにトーナメントを戦ったところ2,3回くらいで優勝することができたのです。

余談ですが、そのアドバイスをくれたDUKEオーナーは、JOさんこと現在の日本ポーカー協会の芹田宅生理事長本人だったりもします。今から12,3年前のエピソードですが、彼との出会いが私にとってポーカー&カジノ人生の幕開けだったといっても過言ではありません。

テキサスホールデムを通じてガラっと変わった人生。今もまだ…変わり続けているのかもしれませんね。

 

続く・・・

 

●筆者プロフィール

寺崎 美保子(てらさきみほこ)。テキサスホールデムポーカー歴12年。
AJPCや夕刊フジ杯ポーカー王位決定戦などの実況を担当。
著者「人気実況者てらこの はじめてのポーカー テキサスホールデムで勝つ」KADOKAWAより絶賛発売中!

 

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